「そんなの関係ねぇ」とは何か〜小島よしおの魅力

こんにちは。鳥取で農家の嫁をしています、米澤と申します。


小島よしおが好きだ。たまらなく好きだ。
小島よしおというと、有名なのは「そんなの関係ねぇ」を繰り返すギャグかと思う。


最近ではちびっこへ向けての活動もされているというが、
私は一時一世を風靡した「そんなの関係ねぇ」のギャグが
世の中にあるギャグの中でも一二を争うかというほど好きなのだ。
しかし一つ問題がある。
よしおが流行ったのは2008年ごろと一昔前の事で、
「懐かしいねー」「昔のギャグだねー」などと、
今となっては人にその魅力を伝える事がかなり難しいという事だ。
実際、自分の友人知人や夫に
「よしおが好きなんだ。よしおについてどう思う?」
と聞いてみても、芳しい反応が返ってきたことはとても少ないのである。(こんなに面白いのに)

芳しい反応が返ってこないの図


そこで、今回はよしおのギャグの魅力を伝えるために、一時一世を風靡したよしおのギャグを改めて分析してみようと思う。
そして、あわよくば自分の伝える力も以前より上がればいいなと思う、そんな昼下がりだ。

よろしくお願いします

▶︎よしおのギャグ「そんなの関係ねぇ」のギャグの流れ

正式な名称は不明だが、「そんなの関係ねぇ」を含む一連の流れを、便宜的に「そんなの関係ねぇ」のギャグと呼ぶ事にする。

知らない人向けにその流れを説明しようと思う。
それはこうだ。

①つまらないギャグを言う

②すべることで、お客さんを寒い気持ちにさせる


③「下手こいたー」と言いながら絶望し、四つ這いのポーズを取る


④転換の音楽がかかり、リズムに合わせてリズミカルに尻を上下させる

⑤「ファー」もしくは「フェー」という奇声とともに飛び上がり、空中で大の字を取る

⑥軽快なリズムが流れ、着地と同時に、一転して愉快な笑い声をあげながらマンボ?のような踊りを踊り、お客さんを挑発する


⑦棒立ちになり、上半身を左右に揺らしながら「揺れてるよー」と状況を説明する


⑧「あそれ、あそれ、あそれそれそれそれ」と言う掛け声とともにリズムをとり、左右へジャンプする


⑨あるあるネタや最近あった話などの短い小咄を言う


(10)「でもそんなの関係ねぇ」という何度かの掛け声とともに地団駄を踏むような動作をする。


(11)「はい!オッパッピー」という掛け声とともに、白目を剥き、小指を出しながら片手を頭上にあげ、片足を横にあげる。


(12)「チントンシャンテントン」と言う掛け声とともに片足づつ踏み出すようなポーズをとり、場面を転換する。


(13)9-11を繰り返す。
(14)突如「終わり!」と宣言し、素(?)に戻る。
以上がよしおの「そんなの関係ねぇ」のギャグの一連の流れになる。
この後、ひな壇トークなどがある場合は「オッパッピー」の意味を聞かれ、当たり前のように「オーシャンパシフィックピース」と答える事もあり、そこまでが様式となっている。
イラストで分かりにくかった人は、「小島よしお」「ネタ」で検索して動画をみたりしてほしい。


では次に、このギャグの動きを一つづつ見ていく。
私はこのギャグを、一種の神のお告げと考えており、よしおはそれを表現する為に舞を踊る巫女であると考えている。(あくまでも著者の解釈である)
これからその理由も含めて一連の動きを説明してゆきたい。


①②

これは言うまでもなく、③で「下手こいたー」=失敗したと宣言するための「フリ」である。つまり、最初からすべることを想定しているにも関わらず、笑いを取るために努力しているような「ポーズ」を取ると言う高度な技術が使われているのだ。よしおの若手芸人のようなある種「白々しい」演技が、その後の狂気と相まってよしおの底知れなさを表現する。そしてこの「ポーズ」がよしおのシュールさ、哲学性の演出に一役買っている。


この深い「悲しみ」を経た段階で、よしおのギャグは一旦「死」を迎える。死によって若手芸人然とした前半部分を否定し、神懸かりによる「復活」を呼び起こす。


④⑤

再生のプロセスを現していると考えられる。この動きの後のよしおは
儀式を経て神懸かりになっており、何らかの神託(後述)を伝えようとしている。


前述の「死」や「悲しみ」といったモチーフと一転して、「狂気」「喜び」を表現する祝祭的なよしおが垣間見える。こうした動きを客席の前でとる事により、狂気を観客へ伝播させ死を超越した神の世界へ観客を誘おうとしていると考えられる。

幼児の気をひくためにおもちゃを揺らしながら「〇〇だよ」と状況を説明したことはないだろうか。よしおは観客の集中を集めトランス状態へ誘うため、自らの状況を説明するという客観的視点を取る。


このパートで客席とリズムを合わせる事により本格的にトランス状態へ入っていく。


中盤の、ポーズではなく本当に面白い(と思われる)小咄のパートである。ここでの小咄は、よくあるネタやちょっとした気づき、小島自身の最近体験したことなど日常の少しクスッと笑えるものが多い。


(10)

「でもそんなの関係ねぇ」と、前述の日常を一蹴。このパートでは、よしおの「怒り」を表現していると思われる。「関係」とは、一体何に対する関係なのだろうか。まるで、日常に起こる事など小さな事で、もっと大きな問題がそこに存在しているというメッセージを伝えようとしているようだ。それこそがよしおが全力で伝えようとしている神託だと言えよう。


(11)

このパートでは、よしおの歓喜を現していると考えられる。また、このパートの変な顔が一つの大きな笑いどころとなっている点も見逃せない。


(12)

転換の音楽により、明確に別のテーマを論じるということがわかる。


(14)「終わり!」宣言の後のよしお。先程までの姿とは違うぶっきらぼうなよしおの姿に面食らったかたも多いかと思う。
この状態のよしおは、神がかりや儀式の巫女としての姿から離れ、仕事人間としてのよしおへ戻ったと考えられる。
一般的な職人の中にも、仕事を離れるとぶっきらぼうな態度をとる職人がいるが、よしおも本来そうした職人的気質の人間であると考えられる。また、全身全霊を尽くしての舞であるため、踊りきる頃にはすっかり気力を使い果たしている事も要因の一つであると思う。
「オーシャンパシフィックピース」の説明についても、そうした「当たり前だろう」という頑固親父的な厳しさからのそっけない態度ではないかと思う。

以上が、流れの解説になる。
では、以上を踏まえてよしおの魅力を考察してみたいと思う。

よしおの魅力


1)3面性を持つ事によっての底知れなさ


上記までの流れで、場面転換を経るごとに複数のよしおが姿を現したことがわかると思う。それは、次の3つだ。

若手芸人のようなよしお:
初期の「下手こいたー」までの流れでつまらないギャグを言う、一生懸命なポーズのよしおだ。この時のよしおは死から復活までのプロセスを説明する準備段階としてこの「フリ」を行なっており、神懸かりにかかるための舞を踊る巫女と同じく神聖な境地でこの儀式を行なっていると考えられる。

神懸かりとしてのよしお:
死から復活、また神託のパートにおいてのよしおがこの状態に位置する。

職人としてのよしお:
これが本来のよしお。人類へのメッセージを伝えるべく全身全霊で一連のギャグを行う、本物の職人としての尊敬されるべきよしおだ。したがって、どんな時でも敬意を忘れてはならない。
また、よしおがパンツ一枚というほぼ裸の姿でギャグを行うのも、この全身全霊をかけた生き様の現れであると私は考えている。
この3面性がよしおを底知れない存在にし、また、人はこのよしおの温度差によって笑っていると言える。

2)人間への根源的問いかけを含んだ深い哲学性−「そんなの関係ねぇ」とは何か
よしおの言う「関係」とは、「懸命に生きる事」との関係ではないかと思う。
日常でちょっとしたドジを踏んだりするとき、我々は無意識に照れ笑いをして自分が何とも思っていないようなふりをしようとする。これはまさしく、⑨でよしおが語る日常のちょっとした小咄である。
しかし、そこに欺瞞がある事をよしおは鋭く指摘する。
ごまかすことは正しい態度ではないのだと。
なぜなら、我々は懸命に生きようとして毎日を努力し、その結果として失敗をするのだ。
そう、失敗とは、懸命に毎日を生きている証明であって、決して瑣末な事ではない。
だから、失敗を笑い話に変えようとする態度へ「そんなの関係ねぇ」と強い怒りを表す事により、強く生きていこうとする人間の意志を讃え、正しく生きよという神の教えをよしおは全身で表現するのだ。


3)笑わせる事自体を目的としていない笑い
以上のことを鑑みると、驚くべきことによしおが人を笑わせることを目的としていないという事実がわかる。
しかし、人は笑うのだ。
そう、それこそがよしおの笑いの奥深さ、尊さなのだ。

いかがだろうか。よしおに倣って自分も全力でよしおの魅力を解説した。お分りいただけたならこんなに嬉しいことはない。
皆さんも、よしおのように1日1日を全力で生きて欲しい。
はい!オッパッピー!

鳥取県大山町で農家の嫁をしています。小萩谷安子という名前で漫画も描いています。 できることを増やすため、このブログでいろんなことに挑戦していきたいと思います。よろしくお願いします。 https://mago-design.com/

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